山田俊弘『ジオコスモスの変容』

山田俊弘著、ヒロ・ヒライ編『ジオコスモスの変容:デカルトからライプニッツまでの地球論』(勁草書房、2017年)

 主題は17世紀の地球論ですが、それを19世紀以降の地質学の萌芽として見るのではなく、まさに17世紀の人びと自身がどのように地球というものを理解していたのかを描いています。
 ルネサンス的なジオコスモスの考え方(地球を一つの統一体として理解する。またキルヒャーの思想に見られるように、宇宙[マクロコスモス]、人体[ミクロコスモス]に地球[ジオコスモス]をくわえた3つがたがいに類似関係、または対応関係にあると考えられることも。98頁図[これ]の中央で3つの結びつきが描かれている)が、17世紀の新哲学の登場をうけていかに変容していったのか。これが本書を貫く問題となっています。しかしジオコスモスという考え方がデカルトに代表される新哲学に取って代わられたというような単純な話ではありません。本書を読み進めていくことで、むしろ伝統的な要素と新しい要素が融合することで地球論の実り豊かな発展が起こったということが見えてきます。
 その様子は、本書の中心的な登場人物であるニコラウス・ステノのなかに鮮明に見てとることができます。本書では、ステノの議論はしばしばデカルト主義の文脈で語られるものの、実際には彼の思想はデカルト主義だけでは理解できないということがが強調されています。「化石」(と現在なら理解されている発掘物)などの個物に着目するという態度は、デカルトではなくむしろデカルトとは対立する理論を立てたガッサンディに由来するものでした。また「化石」などの個物を、地球やその歴史についての包括的な議論の枠組みのなかで理解しようとしたステノの発想は、デカルトとは異なる独自のジオコスモス観をもっていたキルヒャーとも共通していたと指摘されています。ステノはもともと解剖学のバックグラウンドをもっていた人物で、人体と地球のなかでの固体の生成という現象を同種のものとして理解しようとしていました(188–9頁、また174頁も)。とても興味深い話ですが、こういった部分からもミクロコスモスとジオコスモスの対応というキルヒャーのような考え方(先述)と近いものが感じられます。
 本書の各章ではそれぞれ異なる人物の学説が論じられていますが、各学説とステノとの関係に注目することによって、学説間のつながりや差異がわかりやすく見えてくるようになっています。また、たんに誰がどういう学説を受容したのかが述べられているだけでなく、それぞれの人物の経歴が丁寧に紹介されており、各論者が実地の経験もふまえて自説を展開していった様子がよくわかります(たとえばステノが実際にサメの解剖をしたことやライプニッツが鉱山での事業に従事していたことが、それぞれの議論の一つの契機になっていたという点。またはっきりとした影響関係までは断定されていないものの、フックがロンドン大火後の再建で石のなかのアンモナイトを見ていたのではないかという話も紹介されています)。
 本文が読みやすいことにくわえて興味深く美しい図版も多いので、読みものとしてもおすすめできる本です。

トマス・ホッブズ邦訳リスト(暫定版)

ホッブズ関係の邦訳がここのところさかんに出版されているので、現段階で気づいたものをまとめてみました。
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1. 法の原理(1640執筆、1650に分割出版)
岩波文庫版(田中浩、重森臣広、新井明訳、2016年)

法の原理――人間の本性と政治体 (岩波文庫)

法の原理――人間の本性と政治体 (岩波文庫)

柏書房版(伊藤宏之、渡部秀和訳、2012年)
哲学原論/自然法および国家法の原理

哲学原論/自然法および国家法の原理


2. 第三反論と答弁(1641)※デカルト省察』にたいするホッブズの反論とデカルトの答弁
・『デカルト著作集』に所収(所雄章編修、福居純訳、白水社、1993年[増補版]、第2巻)

デカルト著作集〈2〉

デカルト著作集〈2〉


3. 哲学原論(物体論1655[1656英訳、1668第2版]、人間論1658、市民論1647)
京都大学学術出版会・近代社会思想コレクション版(いずれも本田裕志訳)『物体論』(2015年)、『人間論』(2012年)、『市民論』(2008年)

物体論 (近代社会思想コレクション)

物体論 (近代社会思想コレクション)

人間論 (近代社会思想コレクション)

人間論 (近代社会思想コレクション)

ホッブズ 市民論 (近代社会思想コレクション)

ホッブズ 市民論 (近代社会思想コレクション)

柏書房版(伊藤宏之、渡部秀和訳、2012年)
→前掲書(1)
※物体論の底本は1656年の英訳


4. リヴァイアサン(1651)
岩波文庫版(水田洋訳、全4巻、1982–92年)

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫)

光文社古典新訳文庫版(角田安正訳、第1巻、2014年のみ既刊)
リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

※ほかに、河出書房「世界の大思想」版、中央公論社「世界の名著」版(抄訳)、岩波文庫旧版(抄訳)あり。前掲岩波文庫版、第1巻、385–6頁では、これらの版との関係が紹介されている。


5. ホッブズの弁明(トマス・ホッブズの評判、忠誠、道徳、宗教にかんする考察)(1662執筆)
未来社版(水田洋訳、2011年)

ホッブズの弁明/異端 (転換期を読む)

ホッブズの弁明/異端 (転換期を読む)

6. 異端(異端とその処罰にかんする歴史講話)(1660年代後半執筆)
未来社版(水田洋訳、2012年)
→前掲書(5)


7. ビヒモス(1666–8頃執筆、死後出版)
岩波文庫版(山田園子訳、2014年)

ビヒモス (岩波文庫)

ビヒモス (岩波文庫)


8. 哲学者と法学徒の対話(1660、70年代執筆?、死後出版)
岩波文庫版(田中浩、重森臣広、新井明訳、2002年)

哲学者と法学徒との対話―イングランドのコモン・ローをめぐる (岩波文庫)

哲学者と法学徒との対話―イングランドのコモン・ローをめぐる (岩波文庫)


9. ラテン詩自叙伝およびラテン語自叙伝(晩年の作、死後出版)
 2つの自叙伝の邦訳が以下にある。
・福鎌忠恕「トーマス・ホッブズ著『ラテン詩自叙伝』:ワガ生涯ハワガ著作ト背馳セズ」『東洋大学大学院紀要。社会学研究科・法学研究科・経営学研究科・経済学研究科』第18集(1981年)、1–46頁。

広重「科学史に何を求めるか」1970

久しぶりに次の文章を読んだので、科学史の意義が論じられている前半部のメモをとってみました。
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広重徹「科学史に何を求めるか」広重編『科学史のすすめ』(筑摩書房、1970年)、3–13頁。

 これまで科学史の効用が論じられる場合、大きく分けて三通りの議論があった。

  1. 啓蒙主義」。科学史を道徳説話的にもちいて、科学的精神を養うことができるという議論。
  2. 「方法論主義」。科学史は科学の発展法則を見いだして科学研究の発展に寄与するという議論。
  3. 科学史は科学教育に寄与するという議論。

 しかしこのようになにかの役に立つものとして科学史を意義づけるより、一つの学問として科学史を内在的に追求せねばならない。科学史においては科学の歴史の研究それ自体が目的だと考えるべきではないのだろうか。

科学史の意義は科学の歴史の研究それ自体にあると述べるとき、私たちは、こんにち人間にとってあらゆる意味で無視できない、大きな、ときに無気味ですらある存在となっている科学とは一体何であるのか、それを歴史を通じて究明したいという欲求にかられて、そう言うのである」(p. 7)。科学は単一ではない。科学の内部構造も、科学が人間にたいしてもつ意味も、歴史的に変化してきた。そういうさまざまな科学の展開と変遷を、科学史は究明しようとするのだ。

最近の大学をめぐる激動をきっかけに、科学が大きな目的を失って、こまかく個別化し、単なる技術的処理のみをこととするにいたっていること、またそのような科学が非人間化し、人間に敵対的な存在にすらなろうとしていること、がするどく問題提起された。細分化された科学を全体化してとらえなおし、科学の人間的意味を問いなおそうという気運が、そこから触発されてきた。科学の歴史の究明にわれわれを駆りたてるモチーフには、たしかに、このような問題意識につながるものが含まれているのである。しかし同時に、科学史はやはり一つの学問であって、右のような問いかけに直接態で答えるものではないということも、十分わきまえておかねばならない。科学史が学問だという意味は、それがある自律性をもって展開するものであり、それ独自の方法と対象をもつということである。またそれはある意味で迂遠なものだということである。短絡的な思考や行動以外は意味がないという立場にたつなら、学問はすべてナンセンスであり、科学史もまたナンセンスな学問の一つでしかない。しかし、私たちは、学問はたしかに迂遠であるが、その迂遠さは、それが根源的でありうるためには避けることができないものだと考えるのである(p. 8)。

錬金術的な長命法と生命の木

Georgiana D. Hedesan, “Reproducing the Tree of Life: Radical Prolongation of Life and Biblical Interpretation in Seventeenth-Century Medical Alchemy, Ambix 60 (2013): 341–360.

前回記事Ambix錬金術と宗教」特集から、聖書の「生命の木」と結びついてなされていた、錬金術によって寿命の延長をめざす営みを分析した論考です。以下簡単なまとめ。
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「生命の木」にかんしては、古代より字義通りに受け取る読み方とアレゴリーとして受け取る読み方があったが、中世に当時の医学理論とも結びついて、生命の木を自然的・医学的に理解する流れが強まる。この流れが、錬金術的な医薬としての生命の木の再解釈を促進した。たとえばロジャー・ベイコンは生命の木に似た医薬を錬金術によって作ることができると主張した。生命の木と錬金術的な医薬の結びつきは16世紀にもあった(e.g. パラケルスス)。
 17世紀になって、とくに1620年頃からこの結びつきが錬金術のなかで広く論じられるようになる。匿名の著作『世界の栄光』(ドイツ語;1620年、ラテン語訳;1625年)に含まれる神話的な説明(生命の木そのものではないが、同じように寿命を延ばす効果をもつ普遍医薬が、堕落のあと神からアダムに与えられた)などの影響下で、そうした医薬の探究が進められた。宗教的な正統性を確保するため、ふつうこのような錬金術的な医薬によっても不死性が得られることはないとされた。また、生命の木そのものを複製することができるというよりは、それとは違うが同様に寿命を延ばすことができる医薬を錬金術によって作り出せるという立場が基本的だった。ただしファン・ヘルモントのように両者の区別をあいまいにしていた論者(生命の木の「後継植物」を聖書にも登場するレバノン杉と同定し、これを彼の普遍的な溶媒であるアルカヘストで処理することで医薬を得ようとした)や、生命の木そのもの(さらには善悪の知識の木も)を複製できるのだと考えた論者(Andreas Tentzelius)もいた。

錬金術と宗教特集(Ambix, 2013)序文

Tara Nummedal, "Alchemy and Religion in Christian Europe," Ambix 60 (2013): 311–322.
http://www.maneyonline.com/toc/amb/60/4
中世と初期近代ヨーロッパでの錬金術と宗教の結びつきを再考しようという特集の序文です。特集全体のイントロダクションにあたる前半部では次のようなことが言われていました。
 特集に収められている四つの論考では、どのようにして錬金術と宗教という二つの伝統が交差していたのかが詳細に検討される。そして錬金術は中世と初期近代の宗教文化と特別な仕方で結びついていたことが示される。とはいえ錬金術も宗教もどちらも、単一でも時代を超えて不変のものでもなかった。そこで各論考では、一般化をおこなうのではなく、個別の事例に絞った検討がなされる。
 近年の研究のなかで錬金術が近代科学や医学に対して持っていた重要性が示され、錬金術は知的問題(物質論など)にだけ関係していたのではなく、鉱山や医学や商業といった実践的な問題にも関係していたことが明らかになっている。だがこういう仕方で錬金術がいわゆるオカルトから分離されるなかで、しばしば錬金術の宗教的な側面が過小評価されたり無視されたりしている。そこで、前述のような近年明らかになってきている科学/医学としての錬金術の理解を、錬金術と宗教的な要素(神学、終末論、聖人伝、解釈技術...)との結びつきについての新しい洞察と統合しようとする革新的な研究に、本特集では光が当てられている。

『懐疑的化学者』と伝統的錬金術

Lawrence M. Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest (Princeton: Princeton University Press, 1998), 27–62.

The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest

The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest

第2章 Skeptical of the Sceptical Chymist

ボイルの錬金術についての基本書を簡単にまとめました。第1章ではこれまでのボイル像の変遷が概説されています。この第2章はしばしば錬金術批判の書とみなされてきた『懐疑的化学者』の再検討にあてられています。以下まとめ。
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『懐疑的化学者』にかんしてここで特に問うのは以下の二点である。
・『懐疑的化学者』は誰に対する反論として書かれたのか。
・金の製造(クリソペア)がそこで批判されているのかどうか。
 まずボイルは現代的な意味で「化学者」と「錬金術師」を分けてはいなかった。むしろ彼が区別しているのは、「達人」たる化学哲学者と通俗的なキミストである。『懐疑的化学者』のなかでなされている攻撃は後者の通俗的なキミストに向けられている。ここで通俗的なキミストというのは、詐欺師や職人的なキミスト、そして「教科書著者」 textbook writers の伝統に属する人びとであるとされる。この伝統がもつ共通点は、パラケルスス主義の原理にもとづいて実践的な医薬の調合を目指すということである。『懐疑的化学者』で批判されるのは、これらの通俗的なキミストと呼ばれる人びとの理論や実践なのである。理論的には、三原質やそれを拡張した五原質の理論が問題視される。これらの原質理論が金属のみならずすべての事物を説明するものとして拡張され、さらに世界体系の説明にまで結びつけられていたことを、ボイルはとくに批判していた。
 一方で、ボイルがこれらの通俗的なキミストとは区別しようとした達人は、伝統的な錬金術師であった。クリソペアや金属の二原質理論など伝統的な錬金術の内容に対しては直接の批判は向けられていない。それどころか、あまり研究されていない第二版(1680年)になるとボイルのクリソペアに対する態度はいっそう肯定的になってさえいる。
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※なぜボイルの1660年代のテクストばかりが研究され、それ以降の発展に十分注目が集まってこなかったのか。このことは1660年代の彼の思想が「近代的」なボイル像に最もうまく合致することと無関係ではない(52ページ)。
※59ページ以降ではハナウェイ、ゴリンスキ、ディーバスの描く歴史の問題点が指摘されている。

17世紀ヨーロッパの金属変成

Lawrence M. Principe, The Secrets of Alchemy (Chicago and London: The University of Chicago Press, 2012), 143–171.

The Secrets of Alchemy (Synthesis)

The Secrets of Alchemy (Synthesis)

この記事でまとめた箇所の続きです。当時のキミアに実際の経験に根ざした要素があったということが前の部分では語られていました。では金属変成はどうだったのでしょうか。これが今回まとめた箇所の主題となっています。以下まとめ。
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 ふたたびバシル・ヴァレンタインの1604年の書物を見てみます。ここではテクストと、それに付随する図像によって、哲学者の石作成プロセスが12のステップにわけて記述されています。デックナーメンを駆使して書かれているテクストと図像を解読することで、それが実際の化学的なプロセスをあらわしていたことがわかります。たとえば最初のプロセスは金の純度を上げることに関係しており、輝安鉱によって金を溶解させたあと、沈殿したアンチモンと金の合金を焼くことで純度の高い金を得るという過程をあらわしていると考えられます。これはこんにちでも再現できるものです。
 一方で、現代化学的には意味のないプロセスをあらわしているように見えるステップもあります。第三のステップは当時広くなされた再留 cohobation です。しかし現代的に表現すると、これは金を酸に溶かす→蒸発させて金の塩素化合物を作る→熱すると塩素が分離するので再び金が析出するという一連の過程を繰り返しているにすぎません。これはヴァレンタインのテクストでは、金に飛ぶ力を与えて星のかなたへと上昇するようにする、ということと結びついています。この比喩は金を蒸発させることを表現しているように思えますが、この点は一見おかしく思えます(そんなことはできそうもない)。金を蒸発させることは哲学者の石を作るうえで重要だとされていましたが、現代から見ると当時の人びとがそんなことをしようとしていたとは大変ばかげているように思えます。ただ、金属変成とはまったく独立の文脈で、19世紀末以降、そういう〔特定条件での塩化金の昇華という〕現象があること自体は化学的にわかってます。そしてどうもヴァレンタインやボイルはこの現象を実際に生み出していたと考えられます。これは先程の無意味に思えた再留と関係していました。再留によって器具が塩素ガスに満たされた結果、その環境下では熱しても金塩化物の分解が起こらなくなり、結果として金塩化物の昇華が起こったのだと思われます。
 ここから読み取るべき教訓として以下を挙げることができます。(1)テクストとエンブレムの少なくとも一部は実際の化学プロセスを示している(2)アレゴリーやエンブレムはconcealだけでなくrevealの役割も果たしていた(3)読者もまたそれらが特定の意味を持っていると期待できた(4)クリソペアに従事していた人びとのなかには高い技能を持つ者もいた。しかし読者がみなある箇所から同じ意味を読み取っていたのかというとそうではなく、当時の証拠からヴァレンタインのある箇所で言及されているものについて複数の解釈が存在したことがわかります。
 ヴァレンタインの書物、そして他の多くのクリソペアについての書物の情報のソースは三つあったのではないかと思われます。(1)実際の実験室での経験(2)理論的予想(実現できなかったような)(3)先行する書物。
 続いてジョージ・スターキーを取り上げます。彼の哲学者の石作成へのアプローチはヴァレンタインのものとはかなり異なっていました。ヴァレンタインのアプローチは酸のような水性の溶媒を用いる "wet way" と呼ばれるものであり、一方スターキーは "dry way" を採用していました。スターキーはとくに水銀学派 mercurialist と呼ばれる学派に属すると言えます。この学派では、「哲学者の水銀」と呼ばれる、ふつうの水銀を純化し、それに「霊魂を与えることで」作られるものが、哲学者の石の作成のカギと考えられていました(ここで霊魂を与えるというのが意味しているのは、水銀が持つとされた冷や湿の性質を緩和することで、「霊魂」というのは第5章で出てきた「金の霊魂」のようなもの:スピリチュアルな実体ではありません)。16–18世紀にかけてこの哲学者への水銀への関心は続いていました。一つのリサーチ・プログラムとなっていたと言えます。
 なぜ哲学者の水銀にそこまで関心が集まったのでしょうか。水銀学派では、哲学者の水銀と通常の金から石が作られると考えられていました。一つの説明は種子の概念を用いるものです。りんごの種子がりんごにしかないように金の種子は金にしかない。だから金が必要だとされます。ただし、金をほかの金属とただ混ぜただけでは何も起こりません。これは種子が金のなかにロックされた状態になっているからだと説明されました。このロックされた状態の種子を解き放って活性化するのが哲学者の水銀の役割とされたわけです。種子はあくまでメタファーで、一般的には金属が生きていると考えられたわけではありません。しかしメタファーとしてはとても優れたものでした。
 とはいえメタファーとして優れていただけで、多くの人があれほど哲学者の水銀に関心を抱き続けていたというのでしょうか。なにかさらなる要素があったのではないでしょうか。ここでも再現をしてみます。まずスターキーが「霊魂を与えられた」哲学者の水銀と呼んでいたものを作成し、これを金と混ぜて熱してみました。試行錯誤の結果、あるとき前の晩にはフラスコの底にたまった灰色の塊であったのが、なんと次の日の朝になると輝く樹の形のものがフラスコのなかに出現していました(本書のなかに図版あり)。スターキーの残されたノートからは、彼がおそらくこの同じ樹状のものを見ていたということが示唆されます。17世紀のキミストがこのようなものを見たら、哲学者の水銀が金の種子を活性化するという信念の強力な証明だと感じたに違いありません。
 とはいえスターキーは哲学者の石に実際に到達できたというわけではないように思われます。次に浮かんでくる問いは、なぜあれほど多くの人びとが、石が実際に作成されうる、またすでにどこかで調製できていると信じていたのでしょうか。まず言えるのは、金属変成の可能性は、現在の科学とちがって当時の科学とは矛盾しなかったということです。しかし変成は単なる可能性ではなく、現実のものとみなされていました。当時変成が実際になされたという報告がさまざまな仕方で出版されていました。「変成の誌」と呼べるジャンルが出現していたほどです。たとえばオランダのある人物が書いた『いくつかの金属変成の誌』(1604)がその初期の例です。またテクストだけでなく、実際に変成で作られたというメダル等もありました(現在まで残っているものも)。こうした数多くの、実際になされた変成についての情報が当時ヨーロッパじゅうに広がっていたわけです。